就活生とエレファントカシマシ
宮本浩次はかっこいい。いつでも真剣だから。どの一瞬を切り取っても「本気で伝えたい」という気持ちで溢れているのがわかる。伝えたい気持ちが心の中に満たされて、それでもまだまだ湧いてきて、それが体の外側に表出されているのだ。言葉の通り、伝えたい気持ちが「溢れ」ている。それだけの伝えたい気持ちがあるからこそ、表現のプロフェッショナルたりえるのだろう。
エレファントカシマシ HEY!HEY!HEY! - YouTube
みwwwwwやwwwwじっwwwwwwwwww
テレビで見ると彼は自分が言ったことが相手にどういう印象を与えるかを全て考えた末に話し始めているのがわかる。話し始める前に自分が今から言うことについて相手がどう思うかを考え、それに対してのリアクションを先にしていることが非常に多い。自分の言葉がどのような影響を与えるかを非常に気にしているのだ。その姿からは彼の自意識の過剰さが窺えるが、それは彼が「言葉というものは強い力を持っている」と信じているが故の恐怖からくるものなのだろう。つまり自分の言葉の持つ力が凶暴であると信じて疑わないから、歌にも絶対の自信があるし、それで人を傷つけないようにと必死なのだ。
宮本浩次は白と黒の服以外を着ない。時間が惜しいからということらしい。歌のために多くのことを犠牲にして、彼の能力パラメータは歌に極振りされている。歌に絶対の自信があって、それに人生の全てを捧げて、結果を残している。こんなにカッコいいプロフェッショナルは中々いないだろう。
僕は現在就活中で、年収や業務時間などを気にしながら企業選びをする一般的な就活生であるが、彼のようなプロフェッショナルを見ると自分の人生はこれでいいのかなんて疑問が湧いてきてしまう。何か一つに全力を賭けて、後ろを振り向かず、周りを気にせず、ただひたすら己の道をひた走る彼の姿はあまりに魅力的で、自分の小ささにただただ打ちひしがれてしまう。自分にもそんな生き方ができたらいいなという思いとは裏腹に、自分には彼ほどの、溢れるほどの思いがないという現実にただただ嘆くばかりである。
とは言っても嘆いているうちに説明会の予約が埋まり行きたい企業に行けなくなってた、なんてのも困るからとりあえず就活しています。こんな打算的な自分もなんだかなあと思うのだけれど。
僕たちの見ている世界にあるけど見えないものが
僕哲学とか好きなんですよ。特に体系立った知識があるわけじゃないんですけど。なんというか全てのことを疑ってかかる姿勢というか、もしかしたら今まで見て聞いて感じて考えたこと全部間違ってるんじゃねみたいなそういう極端な「もしかしたら」みたいな話が大好きなんですよ。だから思考実験の類いとかも好きです。
今大学で感性に関する云々みたいな勉強とかもしてて、まぁ錯視だったり錯聴だったりの仕組みとか人間の感覚に関することとか学んでたり学んでなかったりするんですよ。それでそういう勉強をして五感の仕組みとかなんやらを知るうちに自分がというかみんなが感じている世界ってのは実際の世界のほんの一部なんじゃないかなとか思うんですよ。
人間が五感を使って感じている情報のうちの8割ぐらいは視覚情報によるものらしいんですけど、人間の視覚で感じているのって400nm~800nmぐらいの波長の電磁波でそれを可視光線とかいってそれより波長が長かったり短かったりする電磁波を赤外線とか紫外線とかっていったりするらしいんですよ。で、なにが言いたいかっていうと人間の体に入ってくる情報ってそんな狭い波長の電磁波で8割も構成されてるのかよってことなんですよ。いや400nm~800nmってのが狭いのかどうかなんていうのは全然それについて考える尺度的なものをもってないので何とも言えないんですけど。ただ、400nm以下とか800nm以上の電磁波でもすっげえ綺麗なものとか面白いものとかありそうなのにそれが見えてないってのは、自分の見えてる範囲では全部を観測している気になってるけど実際には世界を観測する過程ですごいたくさんの情報が抜け落ちてるんじゃないかって気になるんですよ。
サーモグラフィとかよくわからないんですけど多分そういうの使えば熱とか音とか違う波長の電磁波とかとか色々観測できるかもしれないですけど実際面倒ですし、そこまでして見えないもの見たいわけじゃないんですよね。でも例えば100nmの電磁波だけを反射するオジサンがいるとするじゃないですか、いやいないとは思いますけど仮にです。仮に。そのオジサンが僕の目の前ですごい面白い動きで踊ってたとしたらそのオジサンを是非見てみたいと僕は思うんですが、実際僕の目では観測できないじゃないですか。もう自分でも何書いてるかわからなくなってきたんですが、そういうオジサンの存在がそこにいるけど観測できない、って意味で精霊みたいだなとか考えたんですよ。ドラクエⅤだと子供にしか見えない精霊とかでてきますけどそんな感じで短波長を観測できる人にしか見えない精霊みたいな感じです。そんなオジサンの精霊がいるからどうしたって言われたらどうもしないですとしか言いようがないんですけど、ただ面白いなと思ったんです。
もう自分でも言いたいことがまとまってるわけじゃないので、多分なにが言いたいかわからないかもしれないですけど、物理的な測度と人間的な測度には大きな差があって、その人間的な測度の外側にあるなんか虚数みたいなよくわからないものが実はすごく大きくて僕たちの観測できないところにもっともっと面白い世界が広がっているんじゃないかななんて妄想したことを書きたかったんです。以上。
一ヶ月以上更新してなかったんですけど、あまりに暇だったので最近妄想してたこと書きました。
エスカレーターで歩くべきか否か
エスカレーターで「片側開けるな」という愚かなキャンペーンをJR東日本が始めた模様。http://anond.hatelabo.jp/2013080911461
なんかホッテントリに上がってた。リンク先は長かったからさらっとしか見てない。多分エスカレーターで歩くのなんて危なくねえよって内容だと思う。
僕の意見としては、まぁ人によっては危ないかもしれないけど大部分の人はそんなに運動神経悪くないし、怪我するかどうかぐらい普通の人なら判断できるだろうし、怪我してもそんなもん自己責任だろと思う。つまり歩きたくない人は左によって、歩きたい人は右側を歩けば良いと思う。
で、この記事で書きたいのはそんなことじゃなくて、「僕が」エスカレーターで歩くべきか否かってこと。
僕がエスカレーターに乗るときは「そのときの気分で歩いたり、歩かなかったり」って感じなんだけど、なんで歩かないときがあるんだって話。
エスカレーターであれば進んでいるから途中で立ち止まるという選択肢が平然と選ばれているけど、階段であれば急いでいなくともまず踊り場で休むなんてことはしないと思う。
エスカレーターに乗っているということはどこか目的地に向かっているはずなわけで、その移動中に重視しているのが「自分の体力の消耗」なのか、「時間」なのか、それとも「他のなにか」なのかってこと。
結論からいうと「他のなにか」なんだと思う。エレベーターで立ち止まってるときに限って言えば。
周りの人が平然とエスカレーターに立ち尽くしているのを見ているから周りに合わせて自分も「なんとなく」立ち止まるという選択肢を選んでいるのだと思う。この「なんとなく」選んだ選択肢によって僕の人生の中の(数十秒)×(数千回)=(数十時間)ぐらいの時間はエスカレーターで立ち尽くすことに使われるってことになる。
エスカレーターで立ち尽くしている時間で、なんでエスカレーターで立ち止まるのか考えたり、携帯を見たり、なにか良いアイデアが浮かんだり、パンチラが拝めたり、また、それを話のネタにできたり、人間ってのはエスカレーターで立ち尽くしてるだけでも完全に無駄な時間を過ごしてるわけじゃないかもしれない。
けど、その「なんとなく」で選ばれた選択肢に費やした時間っていうのは「エスカレーターで立ち止まっていた時間」だけじゃなくて、その裏には「暇な日にたまたま誘われた飲み会に付き合いで行った飲み会に費やした時間」だとか、「たまたま待ち合わせまでの時間が空いたから時間つぶしで入った店で費やした時間」だとか日常生活に潜む雑然とした多くの時間を含むものであることを今一度自分に説きたい。
その時間っていうのは、(数十時間)×(数十個)=(数千時間)にも及ぶ。
何かに特化した一流の人っていうのはやっぱりこういう雑多な時間でもその特化しているものに費やしているんじゃないかなと思う。
と、ここまで説いたところでそんなに切羽詰まってなにかやるほどのことでもないかとは思ってしまうのだけれど、やっぱり一流ってものには憧れてるっていうワガママな自分をどうしようって感じです。
久々に記事書いて、やっぱりまとまらなすぎて最後とかもう何が言いたいんだって感じになってますがせっかく書いたので上げます。
ありえそうなフィクションが面白い
2chで>>1が勝手に自分語りしていく形式で進めていくお話が好きだ。
多くはその話が実際にあった話なのか、フィクションであるのかを明かさない形で終わることが多い。その多くは実際にその出来事があった体で書かれているが、それが真実かどうかは読み手が判断するしかない。
人気のある話の多くが「出来過ぎだろ。」ってぐらいドラマティックな展開が多いからフィクションとして読んでいる人も多いかもしれないが、僕は「日本人が1億人以上いれば一人くらいそんなドラマティックな体験をしていてもおかしくないんじゃないか」っていう姿勢で読んでる。
一人一人の人生って多かれ少なかれドラマティックな場面があると思うんだ。一人一人の一番輝いてたとき、一番悲しかったとき、一番楽しかったとき、一番恥ずかしかったときなどなど色々…。
で、そんな人生が日本に1億以上集まっていて、実際に1万人に1人の逸材ってのが日本に1万人以上もいるってことを考えれば、それはそれは大層ドラマティックな人生を送っている人もいっぱいいるんじゃないかって、その中の一人が2chに書き込みをしてるんじゃないかって想像しながら読み進める。
物語の最後に「釣りでした」の5文字があれば「やっぱりそんな上手くいかないよね。」って思うと同時に、それでも1億人以上いればそれに近い体験をした人がいるんじゃないかなと思ってしまう。
つまり何が言いたいかって言うと、僕は自分の人生だけでこれだけ思い悩んだり感動したりする場面がたくさんあるのに、そんな人生が日本だけでも1億以上もあると考えるとすげえなってこと。
もっというと、世界には違う環境での人間ドラマがもっといっぱいあって、過去には天下取った将軍の人生があったり、偉大な科学者の人生があったり、そういうのが積み重なって今があって、これからも色々と予期しないような人生が積もっていくのかなと思うとその壮大さがすげえなって。
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ホドホド人間の悲劇
僕は好き嫌いが少ない。
なんだか某人気ライトノベルのタイトルのようだが、きっとこんなラノベがあっても売れないだろう。
好き嫌いが少ないが故に、自分の時間を上手く意識して配分してあげないと「なんでもホドホドに嗜む」程度のことが多くなって偏りの少ない人間になってしまう。以下、このような人間をホドホド人間としたい。ホドホド人間が悪いわけではないが、これから働く人間になるにあたってホドホド人間はスキルという面で非常に不利になってしまう。
もともと好き嫌いが多くアクの強い人というのは、好き嫌いがあるが故に行動が偏り、ホドホド人間が嫌いなことをしている時間に好きなことをするので、自然と何か突出したスキルが身に付く可能性が高い。 その突出したスキルというのは言い換えれば「専門性」ってことになって、ある分野で評価されることになる。それが仕事であればとても有利になるだろうし、仕事でなくても一芸があるということはカッコいいし、様々な場面で武器になると思う。
大学に入ったときのガイダンスで「広く浅い知識に加えて、何か一つは深く知っているようなT字型の知識を身につけろ。」みたいなことを言われた気がするが、今ならとても共感できる。
でも好き嫌いが少ない僕は放っておけば自然とホドホド人間になって生涯を終えそうだなと思ったから、今は掘るところを模索しながら脱ホドホド人間を企んでる次第です。
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まとまるくんでまとまればいいのに
はてなブログのおすすめブログに載るようになってニヤニヤしていたのが今日のハイライト。これに関しては後日もうちょっと詳しく書きます。
それはいいんだけど、ここにきて「リアルが忙しくなった&書いてて文まとまらなくなった」という二重苦に悩まされる状態に。書きたいことはあるし、実際書いてみるんだけど途中で「今書いてもまとまらないし、このネタはもっと時間かけてちゃんとした形でアップしたいな」ってなる。ここに来て毎日更新がしんどくなった。
もっとじっくり書きたい。
いや、昼に書こうと思えば書ける時間はあったけど、ネタあるし夜でいっかとか思ってたらこんな状態に。
なんか書いてて必死に言い訳してるみたいになったので愚痴はこの辺にしときます。
前にも遅筆だって書いたけど、正直ブログ始めたときはこんなに書きたいことがまとまらないもんだとは思ってなかった。それに加えてこんなに記事書くことに躍起になるとは思っていなかった。変に負けず嫌いなところあるからだろうな。
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昔のメールを見てニヤニヤするのが好き
過去の自分をメールボックスに見た
昨日は自分のメールボックスとかLINEのトーク履歴とか見てたら3時間ぐらい潰れた。残ってる中で最も古いメールが大体4年ぐらい前のだったんだけど、それを見て思ったのが「俺こんなこと言ってたのか」とか「俺こんなこと考えてたのか」とか「俺こんなことしてたのか」とか、割と自分の中で新しい発見みたいなことが多かった。自分で書いたメールのはずなのに。
その「こんなこと」の中には、今の自分なら全力で否定するような今の自分とは真逆の言動や思考や行動が含まれていたりするから、経験によって人ってのは変わっていくもんなんだなと改めて思う。
こういうことがあると、「連続して一続きになっているはずの過去の自分と今の自分は本当に同一なのか」みたいなちょっと哲学的なこととかを考えたくなる。
僕がブログを書く理由
僕は記憶力が悪い。友達と会話してるとよく思う。一年以上前の出来事について「そういえばあのとき〜〜したよね」って言われるとかなりの確率で忘れてる。みんなよくそんなに覚えていられるなと思う。
で、それは単に僕の記憶力が悪いだけじゃなくて、僕が今までに日常で自分がやったこと、思ったことに関して一切アウトプットしてこなかったことにもその原因がある。
メールボックスを見てわかったのは、僕は自分が思っている以上に様々な経験をしているはずだってこと。なのに、そういう積み重ねが忘却の彼方へ消え去ってしまうのは非常にもったいない。
ブログを書くことで考えたことを整理してアウトプットしたり、暇だったら読み返して復習してみたり。こういうことを続けていれば、今まで以上に自分の思考が積み重なっていくのかなと思ったことが今ブログを書いている理由の一つになっている。
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