夏休み暇だからブログ始めてみる

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エスカレーターで歩くべきか否か

エスカレーターで「片側開けるな」という愚かなキャンペーンをJR東日本が始めた模様。http://anond.hatelabo.jp/2013080911461 

 

 なんかホッテントリに上がってた。リンク先は長かったからさらっとしか見てない。多分エスカレーターで歩くのなんて危なくねえよって内容だと思う。

 

僕の意見としては、まぁ人によっては危ないかもしれないけど大部分の人はそんなに運動神経悪くないし、怪我するかどうかぐらい普通の人なら判断できるだろうし、怪我してもそんなもん自己責任だろと思う。つまり歩きたくない人は左によって、歩きたい人は右側を歩けば良いと思う。

 

 

で、この記事で書きたいのはそんなことじゃなくて、「僕が」エスカレーターで歩くべきか否かってこと。

 

僕がエスカレーターに乗るときは「そのときの気分で歩いたり、歩かなかったり」って感じなんだけど、なんで歩かないときがあるんだって話。

 

エスカレーターであれば進んでいるから途中で立ち止まるという選択肢が平然と選ばれているけど、階段であれば急いでいなくともまず踊り場で休むなんてことはしないと思う。

 

エスカレーターに乗っているということはどこか目的地に向かっているはずなわけで、その移動中に重視しているのが「自分の体力の消耗」なのか、「時間」なのか、それとも「他のなにか」なのかってこと。

 

結論からいうと「他のなにか」なんだと思う。エレベーターで立ち止まってるときに限って言えば。

 

周りの人が平然とエスカレーターに立ち尽くしているのを見ているから周りに合わせて自分も「なんとなく」立ち止まるという選択肢を選んでいるのだと思う。この「なんとなく」選んだ選択肢によって僕の人生の中の(数十秒)×(数千回)=(数十時間)ぐらいの時間はエスカレーターで立ち尽くすことに使われるってことになる。

 

エスカレーターで立ち尽くしている時間で、なんでエスカレーターで立ち止まるのか考えたり、携帯を見たり、なにか良いアイデアが浮かんだり、パンチラが拝めたり、また、それを話のネタにできたり、人間ってのはエスカレーターで立ち尽くしてるだけでも完全に無駄な時間を過ごしてるわけじゃないかもしれない。

 

けど、その「なんとなく」で選ばれた選択肢に費やした時間っていうのは「エスカレーターで立ち止まっていた時間」だけじゃなくて、その裏には「暇な日にたまたま誘われた飲み会に付き合いで行った飲み会に費やした時間」だとか、「たまたま待ち合わせまでの時間が空いたから時間つぶしで入った店で費やした時間」だとか日常生活に潜む雑然とした多くの時間を含むものであることを今一度自分に説きたい。

 

その時間っていうのは、(数十時間)×(数十個)=(数千時間)にも及ぶ。

 

何かに特化した一流の人っていうのはやっぱりこういう雑多な時間でもその特化しているものに費やしているんじゃないかなと思う。

 

と、ここまで説いたところでそんなに切羽詰まってなにかやるほどのことでもないかとは思ってしまうのだけれど、やっぱり一流ってものには憧れてるっていうワガママな自分をどうしようって感じです。

 

 

久々に記事書いて、やっぱりまとまらなすぎて最後とかもう何が言いたいんだって感じになってますがせっかく書いたので上げます。