私的メモ(目標達成のためのワークシート的ななにか)
まだ夏休み半ばなので、これから修正できる範囲で現実的な計画立ててやってみようかなと。
少し前の記事でこんなこと書いたので、実際にやってみる。
個人的な目標達成のためのワークシート
目標:「わかりやすいJava」を終わらせる。
目的:とりあえずプログラミングを復習を兼ねて勉強することで、自分のプログラミングに対する適正を知る。それを就活を含んだ今後の人生設計に役立てる。
期間:8月中
設定期間の決め方:
就活の始まる12月に備えて、とりあえず自分の作品と呼べるものを最低一つは作りたい。そのためにJavaとオブジェクト指向の知識に夏休み中に一通り触れるための期間。
目標達成にむけての具体的な課題:
・色々とある私的な予定も鑑みて計画的に進捗を管理する。
・宣言した以上は8月中はブログを毎日更新しなければならないので、ある程度のストックを作る。
・残るは10〜18章と、オブジェクト指向の1、2章。
課題の達成:
(プログラミング)
各章の最低締め切りを設け、その期限内に実行する。(もしやる気があるときは先に進めても良いが、最低限の締め切りは守る。逆に締め切りさえ守っていれば全く手をつけない日があってもいい。)
(ブログ)
とりあえず今日と明日で2記事ずつ書く。(ストック増2)
やる気がでないときの対策:
・とりあえずこの目標達成のためのワークシートを逐一確認することでモチベーションを保つ。
・それでも締め切りが守れなければその時は原因を検証してまた新たに対策を練る。
ブログじゃなくてローカルには何日になにをやるとかもう少し具体的なことも書いてあるけど、ここにはこれを載せておく。
自分なりにワークシート的なものを作って、目標と動機を可視化してみた。
今テキストをやるに足る動機が十分にあるってことを自分に言い聞かせるような感じで作った。設定期間の決め方の項目を作ったのは、このワークシート書いたときの心情、動機をこめたつもり。
これで達成できるかは謎だけど、とりあえずやってみて進捗が遅れたらその時にまた対策を考える感じで柔軟にやっていきたい。
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ハダシで町をうろついた話
とあるブログの一人〇〇の限界はどこかって記事の最後に福本漫画の引用があった。
飲茶な日々 - 史上最強の哲学日記
ひとりの限界はどこか?
http://blog.yamcha.jp/article/105971243.html
靴を履かずに庭に下りる……
なんだかよ………縛られてるよな
これっぽっちのことでも……
この程度のことでも……縛られている
しかしそもそも
なんでそういう事をしちゃいけないかというと
靴下が汚れないようにとか……
このまま上がれば廊下が汚れるとか……
その程度のことだ
でも……そんなものこうして
払えばいいだけのことだろ……!
だから……もし気分が動けば……
どんどん歩けばいい……!
何の不都合もあるもんか…!
しかし……どうもそれが出来ない……
こんなちっぽけなことも……
晴れ晴れと出来ない……!
不自由だ……訳も分からず……!
あいつ……赤木は……歩くだろう……!
何も気にかけず……スッ…と庭に下りるだろう……!
「天」 福本伸行
これを読んで、そういえば今まで外をハダシで歩いた記憶ってないなーと思って、衝動的に家の周りをハダシのまま散歩してみたくなった。というかした。
午前11時、ハダシのまま玄関を出る。日差しに照らされたアスファルトの上をハダシで歩いていると、地面を踏みしめるようで、暖かくて、チクチクする感じがして、なんだか懐かしいような変な感じがした。
この懐かしい感じはなんだろうと思ってしばらく考えた。
で、導きだされた記憶が「プールサイドを歩いている感覚」だった。それがわかった途端にまた懐かしさみたいなものがこみ上げてきた。
ハダシで歩いていると、見知らぬおばさんとすれ違った。おそらく僕がハダシであることに気づいたのか、二回ほどこちらを見て視線をそらした。間違いなく変な奴だと思ってると思う。僕が町中をハダシで歩く青年を見かけたとしてもまず間違いなく変な奴だと思うし。知り合いに会わなくてよかったと今改めて思う。
そのままもう少し進むと、おばさん3人と幼稚園児3人のグループとすれ違った。この団体はこちらがハダシであることに気づいていないのか、あまりこちらを気にしていなかった。人によっては気づかないらしい。
そんなこんなで300mほど家の周りをハダシでうろついて帰ってきた。300mでも懐かしさやら緊張感やら色々入り交じってかなり濃密な300mだった。
自らの意思でハダシで外を歩くというのはこの20年ほどの人生で初めてのことだった。初めての体験だからこそ、濃密で刺激的な300mだったのだと思う。やっぱり初めての体験って色々と感じることや新しく思うことがあっていい刺激になると思う。
普通に生活していると初めての体験ってする機会が少ないと思うから、なるべく自分から積極的に初めての体験をしていきたい。今回のような奇行に限った話じゃなくてもっと一般的な話で。
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まだ若いはずなんだけど、思ったより人生に時間ってない
この画像大好き。というか夏っぽい画像全般好き。
ひとつのスキルを身につけるのに1万時間とかいうじゃないですか。毎日3時間やっても10年近くかかるわけで、できるようになりたいことはたくさんあるわけで。それもなるべく若いうちに出来るようになった方が、出来るようになってから死ぬまでの期間が長くてお得だなぁと思うんです。
こんなことを考えたりすると、一刻も早く修行しないといかんなぁとなんとなく心の中では思うんですけど、実際に行動するかというのはまた別の話なわけで。
高校の部活とかを通して学んだのは、なんかひとつのことが中級者レベルまでいくと楽しさが増してくるような気はするんですけど、そのレベルまで到達するまでがすごいしんどいなと。部活の場合は多少の強制力があったから良かったけれども、自分で自分を律して、ある程度までもっていくのは中々難しいもんだなと。
この夏休みもちゃちゃっとプログラミングのテキスト終わらせてなんか自分で組んでみたいなとちょっと思ってたんですけど、やっぱり何か締め切りに追われるようなことがないと自分は自発的に取り組まないんだなと改めて感じました。
まだ夏休み半ばなので、これから修正できる範囲で現実的な計画立ててやってみようかなと。
遅筆だよ!!
正確に計ってるわけじゃないからわからないけど、1記事書くのに1時間ぐらいはかけてると思う。こんな記事に1時間もかかったのか、ってぐらい貧弱な内容ばかりかもしれないけど、これが今の僕の現状だってことなんだろう。
小学生の頃とかは作文とか超苦手で、原稿用紙2枚ぽっちでも「ふえぇ…こんなにいっぱい書くことないよぅ…。」って感じだった。それに比べれば幾分はマシになっているかもしれないがまだまだ文章を書くということに対しての体力がない。今もこうして文を書いてはいるが、なんとか捻り出している状態だ。
書きたいことは一杯ある。
だけどそれを上手く文章にできないし、口頭だともっとまとまらない。力不足の現状では、なんとか時間をかけて文章にしていくしかないんだろう。練習を積み重ねて、そのうち思ったことが伝わるような文章がサラッと書けるようになれたらいいな。
出口 汪の論理的に書く技術 〜双方向性のあるメディアが好き〜
「出口 汪の論理的に書く技術」を本屋で立ち読みしてきた。
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要約すると「他者は自分とは異なる経験をしてきているんだからわかりあうのは難しいよね(これを他者意識って言ってた)。それを踏まえてわかりやすい文章書こうね。」ってお話で、それにまつわる技術なんかも書かれてた。読みやすくて良書だと思う。
この本の中で、対立関係が技法のひとつとして挙げられてた。
その中の対話のひとつがこんな感じ。
出口「反対のことを取り上げて、自分の言いたいことを強調したり、説得力をもたせたりすることってあるよね。」
女の子「あ、それ、わかります!昭和の特集とかで、あの頃はこれこれこう良かったけど、現代は殺伐としてて…。みたいな対比ですよね!」
( 正直うろ覚えで書いているので細かいところは若干違うかもしれないけど、こんな感じのことが書いてあった。)
この女の子の出している例がすごい的確に僕の嫌いな所を突いてきた。
大体こういう対比の仕方って、自分の主張に沿った意見を並べ立てて、それに加えて対抗する主張の悪い所を並べ立てるって手法なんだと思うけど、テレビとかでこの手法使われると「なんで都合の良いことばっか言ってんだよ。昭和だって殺伐としてるところあるだろ。ふぁっく。」とか反論したくなることが多い。でもテレビは一方通行だから思ったことをテレビ側に吐き出すことができない。だから一方的なメディアはあまり好きじゃない。
そういう点でネットは匿名でも言いたいことが言えるから好きだ。ネットは発信する側も受け取る側も対等で話せるし、なんとなく心理的距離が近い。やっぱり言いたいことを言ってそれに正論返されてぐぬぬってなることもあるけど、それでも言えるだけ双方向性のあるメディアの方がいいなって思う。
書く技術を手に入れるはずが言いたいことだけ言って投げっぱなしな文っぽくなっちゃったけど時間ないのでとりあえず上げて寝ます。おやすみなさい。
論理と感情は相反しない 〜感情論ってそんなに悪いの?〜
感情論とかマジでクソ。
なんて思っていた時期が僕にもありました。
スタバで勉強して何が悪いの?←感情論抜きで論破できない件
一般的に、というか特にネットでは感情論というのは嫌われる傾向にある。
そもそも感情論ってなんなんだってことなんだけど、wikipedia先生によると
感情論(かんじょうろん)とは結論を支える最大の論拠が自身の感情であるような議論のこと。
ってことらしい。
冒頭のスレでいうと、
「スタバで勉強する奴とかクズだろ。なんでかって?俺が嫌いだから」って感じで「クズ」の論拠が感情からきているのを問題視しているんだと思う。
スタバでドヤ顔したい側からすると、感情論で自身の行動を否定されるのは腑に落ちないってことだよね。それはすごいよくわかる。
でも、最終的に行動の善悪を判断するのって感情になっちゃうから、最近の僕は感情論を持ち出さずに他人の行動を否定するのって不可能なんじゃないかと思うようになった。
これを言うと他人の行動を否定しなきゃいいんじゃないかって思われるかもしれない。スタバでドヤ顔ぐらいなら否定しなきゃいいとは思うんだけど、他人の行動を否定できなくなってしまったら法律だとか憲法だとかが一切作れなくなっちゃうから大問題になる。
やっぱりマナーとか倫理とか道徳って基礎のところが人間の感情だから、感情論が入ってくるのは仕方ないんじゃないかって思う。「なんで他人の物を盗っちゃいけないか」「なんで他人を傷つけちゃいけないか」っていうのは、色々理屈をこねることもできるけど、最終的に感情論になっちゃうし。
ここでもwikipedia先生の力をお借りして、「倫理学」のページを一部抜粋すると
ということらしい。
まぁwikipedia先生によると実際に道徳は感情からきていないとする人もいるみたいだけど、僕は道徳は感情からきていると思う派なので、それとして話を進める。
こんな感じで感情論ってのはときに必要になっちゃうもんだと思う。だけどもっと問題になるのは、論拠が感情であるのに加えて、さらに論理的整合性がとれていない場合だと思う。
「ヨソはヨソ、ウチはウチ → 〇〇君は△△点だったのにアンタは…」なんていうカーチャンとか、「なんでこんなミスしたの? → 言い訳すんなよ!or 屁理屈言うなよ!」なんていう上司とか、もはや感情をぶつけたいだけで論理も理屈もへったくれもないような言葉をぶん投げてくる場合のこと。ここまでくると本当にwikipedia先生のいうようにヒステリーとしか言いようが無い。感情論の中でも大物。
これに対して昔は「ふざけんなよ!○○って言ってたじゃん!!」とか思ってた。っていうか今でも思う。僕は論理的なのが綺麗だと思うし、好きだから。
でも、ここまで整合性を欠いていると、「あぁ、この人は整合性のある議論なんて気にしていなくて、僕を奮起させるんだったり、咎めたりしたいがためにこの言葉を言っているんだな」ということが頭で論理的に理解できる。だから、実際にこのような言葉を言われたときに冷静に論理的に判断するのは非常に難しいんだけど、論理的に考えれば相手は感情論に走っているだけなんだと理解することができる。
「相手が言っているのは感情論である」ということを認識して、それを冷静に俯瞰できるようになれば少しはストレスは和らぐんじゃないかなぁ…。
とここまで自分を諭すように書いてもやっぱこんなカーチャンや上司は許せない^^;
許せないのは感情からくるもので、やっぱり人は感情なしでは語れないなと。
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楽しいって疲れないですか?
今日はお友達とお出かけをしました。とっても楽しかったです(小並感)
と、ここまではいいんだけど、それに加えてとっても疲れた。明日は一日家で休みたい。
やっぱり何か楽しいと感じることって多少なりとも能動的に動いたり、能動的に考えたりしなきゃいけないし、疲れるのはしょうがないと思う。楽しさと疲労はトレードオフっていうのかな。
ここで行動することに対して「楽しさ > 疲労」になっている人はガツガツ行動してリア充になっていく。
逆に、行動することに対して「楽しさ < 疲労」になっている人は内にこもりがちになる。
後者の人が、ネットには多い気がする。ネットっていうのは受動的で疲れにくいから。
ネットではリアルより共感できる意見がゴロゴロあるから、程度の差こそあれ、僕もネット側の住人なのかなと思う。
夏休みだし、そんなに友達が多い訳でもないし、これから一週間ほど手帳の予定が白紙なんだけど、それでなんか安心してる。好きなことできるんだって。
世間には手帳が白紙だと埋めようとする人が多いような気がするんだけど、僕はそんな心持ちにはなれない。むしろ白紙の方が安心する。